【登場人物】

東園北斗、ジャスパー・アーノルド、薬師丸大葉(よその子)

......  コツコツと、靴裏が石を軽く叩く音。  涼しい風に緩く頬を撫ぜられながら、外門から玄関まで続く石畳の上を歩いていた。仕事のため、初めて訪れた周囲に目を配る。  貴族が所有するにしては、少しこじんまりとした広さの屋敷。一般市民の住居よりは大きいだろうが、豪邸という表現は似つかわしくない。庭もそこまでの広さはなく、庭園家具や木が数本あるだけで、こういった場所にありがちな噴水や花壇、インテリアのような物は置かれていない。 『金持ちにしては成金趣味のない、珍しく質素で趣味のいい真面目な貴族』と知り合いが評した言葉を思い返して、ふと頬が緩む。  確かに質素な部類ではあろうが、目を配れば所有者がただの無頓着ではない事は分かるだろう。  長方形の石を隙間なく敷き詰められた地面は、年代こそ感じるものの雑草一つ生やしておらず、落ち葉ですら存在しない。随所に置かれた洋風の庭園家具や木々も、普段から手入れされている印象を受ける。徹底的な仕事ぶりに、思わず感嘆の声を漏らした。  華美な花々や噴水がないおかげで、離れの木立が風に揺すられる音も、近くの海からわずかに運ばれる潮の香りも、よく感じられる。なるほど、所有者はありのままの自然を愛しているのだろうと思われた。  思考を巡らせているうちに、玄関の門扉の前に立っていた。屋敷の雰囲気を壊さないよう、アンティーク調にデザインされたインターホンのボタンを押す。室内で鐘の音が響いたのが聞こえた。 『はい』  インターホン越しに男の声が聞こえてきた。おそらくカメラだろうレンズに顔を向き直せば、柔和な笑みを浮かべて名乗る。 「ジャスパー・アーノルドです。面談に来ました」  さほど間を置かずして門扉が内側に開かれ、茶色のスーツを纏った身なりの良い青年が現れる。入るのを促すよう大きく開かれた門の向こうで、青いシックなスーツに身を包んだ男が立っているのが見えた。 「アーノルド先生、わざわざお越しいただき感謝します」 「初めまして、ホクトさん。今日は招いてくれてありがとうございます」  互いに握手しながら流暢な日本語で返せば、青いスーツの男__東園北斗は柔く笑い、門を開けている執事らしき青年は目を丸くした。

中に入るよう促され、客間へと通される。外観を裏切らない英国アンティーク調の家具や内装に囲まれれば、今自分が日本にいることすら忘れそうだった。やはりどの家具も隅々まで清掃が行き届いており、輝きに拍車を掛けている。なぜかインテリアに合わないカエルの置物が幾つか隠すようにあったが、誰かからの贈り物なのだろうか。それらも残らず丁寧に磨き上げられていた。  部屋に着けば、執事が荷物と上着を預かろうと手を差し伸べる。スカーフ以外の荷物を渡そうとして、自身がずっと提げていた紙袋の存在を思い出した。 「そうです!こちらはオミヤゲです。そこのスイーツ屋さんで、焼きたてのスコーンを買ってきました。人数が分からなかったので、20個買いました」  笑みを浮かべながら手渡すも、自身の言葉に二人は微妙な顔で笑う。もしかして苦手だっただろうか。不安に駆られていれば、北斗が先に口を開いた。 「伝え忘れてしまって申し訳ありません。この屋敷には、私と彼の二人しかいないのです」 「そうですか?」  今度はこちらが目を丸くする番だった。だとすれば、表や中の清掃、果ては料理や洗濯まで彼一人で行っているのだろうか。  思わず執事の方に目をやれば、バチリと目が合う。すぐに目線を逸らされたが、こちらの驚きが伝わっていたのだろう。よく見れば誇らしげに口端が上がっていた。 「なら、三人で食べましょう!食べながらでもお話は出来ますから。ワタシも食べたいです」 「そうですね、温かいうちに食べましょう。大葉、紅茶と一緒に出してくれ。確かこの前仕入れたジャムもあった筈だ」  畏まりました、と淡々と返事をして、大葉と呼ばれた青年はスコーンと共にキッチンへ下がっていった。  向かい合うように置かれたソファに座り、改めて北斗の顔を見る。先程まで浮かべていた柔和な笑みは消え、代わりに硬い表情をしていた。 『それで、仕事の話なんだが』  北斗の言葉にこちらも居住まいを正す。彼の口から出た言葉が、英語に置き換わったからだ。 『メンタルセラピーのお願いだったね』  こちらも合わせて母国語に切り替える。  今回こうして会いにきたのは、知り合いを通じて北斗から連絡を貰ったからだ。「メンタルセラピーの仕事を頼みたい」という内容で。  彼は大葉が下がっていったキッチンの方へ視線を向け、トーンを落とした声で続ける。 『頼みたいのは彼のことだ。彼は苦しんでいる.....幼少期のトラウマのことで』 『いわゆるPTSDかな』  心的外傷後ストレス障害__略してPTSD。酷く恐ろしい体験をした際に心に深い傷を負い、それが悪夢やフラッシュバックとなり本人を再び苦しめる症状だ。大体は薬物や心理療法で治る可能性がある。  しかし、この治療法は世界中で共通されている。ならば普通の日本の精神科医でも事足りる仕事の筈だ。わざわざ海外の精神科医に頼む必要などあるだろうか? そんな疑問が顔に伝わったのか、答えるように北斗は続けた。 『彼は貴族と、医師にトラウマを抱いている。私に対してもそうだが、白衣を着ている人間や病院、注射器にも拒否反応を起こす。それに彼は疑り深い。白衣を脱がしても、大体の医師は相手にしないだろう。かといっておそらく薬を飲まそうとしても、素直には飲まない』 『なるほど、それは手強そうだね』  そのうえ心理療法は人によっては有効ではない。相手が心を開き、こちらの言葉を聞き入れる姿勢を取っていなければ意味がないのだ。  トラウマで夜眠れない患者の治療をした事はあるが、あれは彼が素直に自分の言葉を聞いて、向き合ってくれたからにすぎない。  見たところ、大葉は仕事の為ならば自身の感情を切り離せるタイプのようだ。拒否反応を起こすという北斗にも、自分の前では何でもないように振る舞える。そんな彼が果たして、初対面の怪しい人間に心を開いてくれるだろうか。 『それに彼は身体が弱いんだ。仕事柄、私たちは海外にも赴くのだが......やむを得ず、彼を置いて行かねばならない事もある。さっき言った通り、ここには私と彼しか居ない。誰かに頼もうにも、彼は医者嫌いだ』 『なるほど、緊急でも来れる専門家が必要になるね』 『その通りだ』  確かに自分は現在病院を閉じて、療養中の身だ。貯金もあるから急ぎで仕事に復帰する必要もないし、時間に余裕はある。応急手当ても少々心得がある。我ながら適任だ。 『この依頼は長期間になるだろう。それでも構わない。難しいだろうが、彼のセラピーを頼まれてくれないか』  頭を下げた北斗の表情は、真剣そのものである。今まで何度も大葉の為に悩んで来たのだろうと察せた。彼に取って、自分は最後の望みなのだろう。  キッチンでまだ作業をしている大葉と、北斗を交互に見遣る。ふ、と笑みを溢せば、出来る限り優しい口調で彼に話し掛けた。 『分かった。その仕事を受けよう』  本当か、と言いたげに慌てて顔を上げた北斗に「ただし」と付け加える。 『受ける前に、一つだけ質問をさせて』  そのタイミングで大葉が戻ってきた。先程渡したスコーン、ストロベリージャム、クロテッドクリーム、紅茶のダージリン。机上へ並べられた洗練された美しい食器の輝きと、鼻腔をくすぐる華やかな香りに思わず笑みが溢れる。それらを目の前にしているにも関わらず、北斗は強張った顔のまま、食器を並べる大葉の横顔を見ていた。  ティーカップから上がる湯気の向こう側、真っ直ぐにこちらを向く北斗の目を見据える。 『キミは治療をして、彼にどうなってほしいの?』  食器を並べ終わった大葉は、こちらの話の内容が分かっていない様子で傍に下がった。  彼の返事を待ちながら、冷めないうちにとスコーンへと手を掛ける。まだ温かいスコーンを割こうと指を差せば、さくり、と小気味のいい音が聞こえた。綺麗に割れた断面にクロテッドクリームをふんだんに塗り込み、そこにジャムを贅沢に盛る。頬張り、咀嚼もそこそこに紅茶を口に含む。ダージリンの華やかな味わいがストレートに伝わり、少し固い生地に染み込んで柔らかくさせる。口内で溶けていく味わいに頬が緩んでしまう。確か彼らは海外輸入品を取り扱うのだったか。その目利きは最高だろう。食材のどれもが一級品で、あまり肥えていない自分の舌でも確かに『美味しい』と感じさせる。  舌鼓を打っている間も、北斗はスコーンたちに手を付けずに視線を向けていた。あまりにも動じない様子に、流石の大葉も片眉を上げて訝しげに視線を送る。 『......私は』  口内のスコーンが無くなり、次のスコーンに手を掛けようとした時。ようやく北斗が口を開いた。 『彼はきっと、私から離れたくとも離れられないんだ。嫌いな人間と離れることも、一人で生きることも、自分の意思で選べない』  伏せていた睫毛が持ち上げられて、金の瞳が見える。 『私は、彼に自由になってほしい』  彼はハッキリと言い切る。金の双眸は、強い輝きを持ってこちらを見ていた。  大葉はやはり英語が出来ないのだろう。何の話をしているのかと、今度はこちらを探るように視線を向けているのを感じる。 『そう。.....それでもし、彼が自分の意思でキミの傍に残りたいと願ったら?』 『それは.....、』  彼は一度口を閉じ、視線を彷徨わせる。大葉は北斗の様子に、口を出すべきかと悩んでいるようだった。それを留めたのも、北斗であった。 『彼が望むならば、それでも構わない』  膝の上で北斗の両の拳が固く握られる。叶うならそうであってほしいという願いだろうか、そうなる訳がないという諦めだろうか。きっと、そのどちらも込められていた。 『うん。分かった』  北斗の言葉を胸に刻めば、未だ強張った表情の彼に、にこりと笑みを浮かべてみせる。 「さぁ、冷める前に食べましょう!このスコーンも紅茶も美味しいですよ!」 「あ.....あぁ。そうだな」  放られていた彼らの存在を今思い出したのか、北斗は机上を見て肩の力を抜く。恐る恐るというようにスコーンを頬張り、紅茶を含んで、そこでようやく破顔した。  大葉はやはり怪訝そうな表情のままだったが、今は聞くべきではないと判断したのか、結局口は開かなかった。しかし動じる様子もないので、こちらから声を掛ける。 「アナタも食べませんか?温かいほうが美味しいですよ」 「ア?いや.....」 「良いじゃないか。向こうはお前の味の感想も求めているんだ。お前の分も持ってくると良い」 「......畏まりました」  主人の言葉と、こちらがじっと向け続ける笑みに折れたのだろう。大葉は酷く渋々といった様子でキッチンに戻る。変わらぬ笑みでその背中を見送れば、北斗も同じく視線を向けているのを認めた。 「彼のこと、大事にしているんですね」  二口目の紅茶を含みながら、北斗はこちらの言葉に笑みを浮かべる。 「それを行動にできないから、こうして先生に頼んでいるんだ」  何もできない自分への嘲りを込めた笑みだった。

【おまけ】

......

遡ること数分前。  ジャスパーからスコーンを持たされ、キッチンへと戻った大葉は頭を抱えていた。 「スコーンの食い方なンざ知らねェ.......!!!」  確かにスコーンは人気の焼き菓子であり、日本のコンビニでも見掛ける事が多い。しかしそれらは食べ易いよう形を三角に変えたり、綺麗好きな人のために一口サイズにされていたりと変化している。  そう、目の前のイングリッシュスコーンを大葉は見た事がなかったのだ。 「流石にこの大きさに齧り付くのはムリだ!! つーことはフォークか!?ナイフは要るンかよ!? つーかアイツの言うジャムはどれだムダに多すぎるンだよ"!!!」  どォやって盛り付けンだ!!と怒り散らす大葉である。それでも仕事を投げるつもりが毛頭無いのは、彼の高いプライド故だった。  大葉は復帰時に支給されたタブレットを取り出し、画面上のキーボードを打つ。分からないものは仕方ない。恥をかかない為にも、正確な情報を知らなければならないだろう。  G○○gleで検索すれば、トップに「本場のスコーンの美味しい食べ方♡」とかいうサイトが現れる。それをタップして中身を眺めていれば、とある一言に目がついた。 『③みんな大好き、クロテッドクリームを贅沢に盛ろう!クロテッドクリームあってのスコーン、スコーンあってのクロテッドクリームだよ♡』 「誰だよ“!!!!!!」  大葉はスイーツなどあまり食べない。正しくは偏食家であるが、客人をもてなすぐらいしか料理を綺麗に盛ろうなどとは意識しない。もちろんスイーツを正しい食べ方で......などとは脳裏に掠りもしなかった。  故に、クロテッドクリームなどという一般人からすればマイナーな存在を知らなかったのだ。  しかし、驚愕はまだ止まらない。 「スコーンにクリームとジャムを乗せてその上さらに紅茶と一緒に飲むだァ”!?」  大葉は激怒した。かの贅沢思考の貴族共の舌を引き抜かんと誓った。  これでこそ完璧のスコーンになるのだ.....などと謳う記事に思わずタブレットを投げそうになる。どこまで贅沢を尽くさねば満足しないのか。そのうえこれが正しい食べ方として世界中に広まっているらしいではないか。クロなんとかは知らないが、どうせカスタードのものと同じく甘いのだろう。  なんという甘味の暴力。大葉はこの時点で嫌気が差してきていた。  呑気に話す客人たちを恨もうと視線を向ける。しかし予想と裏腹に、なぜか真剣な面持ちをした二人が見えた。  そういえば面談があると聞いただけで、アーノルドとかいう客が何者かも、何の用事があるのかも大葉は知らされていなかった。執事にも共有できない重大な内容なのか、それとも大葉には言えない内容なのか。 「......フン!!」  こうなったら盗み聞きをしてやろう。その為にもこの完璧なスコーンとやらを、堂々とあの二人に出さねばならない。 「やってやンよォ!!!!!!!!!」  大葉は袖を捲る......のは行儀が悪いので、そのつもりで仕事を再開した。

砂場の倉庫